カンピラ荘の歴史
 民宿カンピラ荘は、前大時吉(おじい)、チエ(おばあ)夫妻が1972(昭和47)年に現在の場所に開業し、2002(平成14)年で創業30周年を迎えました。1972年はちょうど沖縄が本土復帰した年です。このページでは四半世紀を越えるカンピラ荘の歴史とその周辺地域の移り変わりを紹介します。ここに掲載した写真の一部はカンピラ荘のロビーに置いてあるたくさんのアルバムから借用したものです。
 カンピラ荘の開業当時に宿泊、あるいは土方部屋に住み着いていた古いカンピラ荘ファンもたくさんいらっしゃると思いますが、そのような方々には是非カンピラ荘に関連のある懐かしい写真を提供していただきたいと思います。写真を提供していただける方はこちらまでお知らせ下さい。
創業当時のカンピラ荘−1 創業当時のカンピラ荘全景
1973〜74(昭和48〜49)年頃、創業当時のカンピラ荘。今の建物とは全く違います。道路は全く舗装されていません。

手前の赤瓦の建物が現在のロビーの場所、奥の建物が現在の食堂の場所にあたります。このふたつが客室で、うしろに母屋があったようです。
1975(昭和50)年秋のおじいとおばあです。当時おばあはまだ30台ですが、既におばあと呼ばれていたそうです。(徳島県在住のヨースイさん提供)

初代のカンピラ号です。現在三拝云の事務所が建っている場所です。(徳島県在住のヨースイさん提供)
1975(昭和50)年10月、この年初めてのイノシシが獲れました。おじいはイノシシ捕りの名人です。イノシシは刺身が特に絶品。(徳島県在住のヨースイさん提供)
長男の敏夫さん(とし坊)がおじいが捕ってきたイノシシの毛を削いでいるところ。右は次男の敏晴さん(はる坊)。彼らは子供の頃からよく手伝っていたそうです。(徳島県在住のヨースイさん提供)

しょうとくさんに添い寝してもらって熟睡しているはる坊。枕にしているのは風呂用の椅子のようです。(徳島県在住のヨースイさん提供)

1975年11月、これから島の縦断に出発する一行です。(徳島県在住のヨースイさん提供)
縦断途中のカンビレーの滝にて。(徳島県在住のヨースイさん提供)
祝!縦断成功。終点の古見部落にて。現在では幻となった縦断ルートです。(徳島県在住のヨースイさん提供)

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1975年当時のカンピラ荘の内部。この頃は毎晩宴会をしていたそうで、飲めや歌えや踊れやの狂乱の日々だったそうです。おじいや洋子さんも参加していますね。(徳島県在住のヨースイさん提供)

1975年11月、カンピラ荘の滞在者です。西表の研究で有名な安間繁樹博士や動物奇想天外の千石正一先生も写っています。詳しくは写真をクリックして下さい。(徳島県在住のヨースイさん提供)
しょうとくさんと巨大なミーバイ(ハタ)。(徳島県在住のヨースイさん提供)
カンビレーの滝にあるポットホールにはまり込むヨースイさん。1975年9月。(徳島県在住のヨースイさん提供)
カンピラ荘の東側をバックに。現在ロビンソン小屋がある場所ですが、当時はなにもなかったようです。中央は長女の洋子さん。(徳島県在住のヨースイさん提供)

1977(昭和52)年のカンピラ荘。玄関に自動販売機が置かれ、うしろには別館が完成しています。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)

完成したばかりの別館。屋上に立っている左側の人はおじいです。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)
二階建ての新館を建設中 完成したばかりの新館
東側の赤瓦の棟を取り壊して二階建ての新館を建設中。

完成したばかりの新館(1978(昭和53)年撮影)。現在のロビーがある棟です。
新館が完成したカンピラ荘全景 前大運送のトラック
西側の棟はまだ創業当時のままですが、うしろには現在も使われている別館が完成しています。
創業当時のカンピラ荘では、トラックで“前大運送”という運送業もやっていました。土方部屋に住み着いていた人たちも手伝っていたようです。

トラックで宿泊客の送迎 1975年のおじい、おばあと洋子さん
当時は常連客の送迎も前大運送のトラックでやっていたようです。(1977(昭和52)年撮影)

1975(昭和50)年頃のおじい、おばあと長女の洋子さんです。いまもそんなに変わっていません。
1976年頃の船浦港の桟橋 人であふれかえる狭い桟橋
1976(昭和51)年頃の船浦港の桟橋。いまでは広い港湾施設になっていますが、当時はたったこれだけの施設でした。うしろには砂浜も見えます。

桟橋が狭いので人であふれかえっています。見送りの風景は昔も今も変わりません。
第三住吉丸
1976(昭和51)年頃、石垣−船浦を就航していた第三住吉丸。いかにも足の遅そうな貨客船でした。
1975年11月、船浦でのスナップ。洋子さんの両隣の女性はどちらも“あっちゃん”だそうです。うしろに立っているのがヨースイさん、右端はマグジョさん。(徳島県在住のヨースイさん提供)

第三住吉丸のデッキ。1975年11月です。(徳島県在住のヨースイさん提供)
船が岸壁を離れる瞬間はいちばん寂しいときです。現在の高速船ではあっと言う間に見えなくなりますが、当時はゆっくりと離れていきました。(徳島県在住のヨースイさん提供)

初代カンピラ号
たくさんの思い出を積んで西表を離れてゆく第三住吉丸。さようなら西表島・・・ (徳島県在住のヨースイさん提供)

二代目のカンピラ号だと思われます。後ろにはクマさんやはなむけさんが写っています。
1977(昭和52)年、カンピラ荘の裏の砂浜。現在の上原港の港湾施設がある場所です。この当時は船浦から上原にかけての道路沿いの防波堤もまだなく、ずっと天然の砂浜が続いていたようです。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)

1977(昭和52)年、上原山からの眺望。現在に比べると部落に建物の数がかなり少ないです。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)
1977(昭和52)年のピナイサーラ。さすがに自然の風景は変わっていませんね。当時はカヌーなどありませんでしたからみんな歩いて行っていました。これはマングローブ林を抜けて草原に出たところからの風景。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)

1977(昭和52)年4月のピナイサーラ。ここを訪れる人たちの行動は今も昔も全く同じです。(東京在住のまろんパパさん提供)
船浦湾の干潟を歩いてピナイサーラへ向かう人たち。1977(昭和52)年4月撮影。昔は滝へ行くにも金がかかりませんでしたね。(東京在住のまろんパパさん提供)
たぶん上原公民館の裏手だと思われます。公民館の壁が真新しいのが目を引きますね。1977(昭和52)年4月撮影。(東京在住のまろんパパさん提供)
空と海の美しさは今も昔も変わりません。水着のデザインが少々時代を感じさせます。1977(昭和52)年4月撮影。(東京在住のまろんパパさん提供)
1977(昭和52)年の安栄丸の船内。第三住吉丸と並行して就航していたようです。船尾には座敷部屋の客室もあったと思います。(茨城県在住の仲田義章さん撮影、提供)

ヤマネコの絵が描かれたカンピラ荘の専用バス 1984年頃の安栄丸
ヤマネコの絵が描かれたカンピラ荘専用のバスです。1985(昭和60)年くらいまでありました。専らおじいが運転してましたが、おじいって大型免許持ってたのかな?(1981(昭和56)年撮影)

1984年(昭和59)年の安栄丸。当時は漁船に毛が生えたような船で、時化ているときには石垣−船浦間が1時間半くらいかかっていました。現在では快速船ですが、当時は怪速船でした。
レンタバイクもやっていたカンピラ荘 1984年頃のカンピラ荘の二階の部屋の様子
1984〜85(昭和59〜60)年頃、カンピラ荘では一時レンタバイクもやっていました。この頃、玄関の前の公衆電話はまだありません。
1984(昭和59)年、カンピラ荘の二階の部屋の様子。当時は二階も一階と同じくすべてアウトバスタイプの部屋で、二階の部屋数は現在の2倍でした。

1987年のまるまビーチ手前の風景 1987年、カンピラ荘の裏の浜から船浦方面を写した風景
1987(昭和62)年のまるまビーチの手前の風景。当時は現在のように広い港湾施設はなく、船揚場のスロープがあるだけでした。
1987年(昭和62)、カンピラ荘の裏の浜から船浦方面を写した写真。現在ではここに上原港の大規模な港湾施設ができていますが、当時はこの浜からピナイビーチまでずっと海岸が続いていましたが、海岸沿いに防波堤が完成していました。

JTAの前身、南西航空の飛行機。オレンジのストライプが印象的でした。1992(平成4)年、社名を変更する前年の撮影。
1993(平成5)年に日本トランスオーシャン航空になり、機体のデザインは親会社のJALそっくりになりました。これは社名変更直後、旧デザインそのままで機体にJTAと書かれている珍しい写真。


先代の無人販売店 新しくなった無人販売店と併設された三拝云の事務所
趣があった初代の無人販売店。1997年頃できたと思います。最近、西表ではカンピラ荘に倣ってあちこちに無人販売店ができています。

新しくなった無人販売店と横に併設されたカヌーサービス三拝云の事務所。2002(平成14)年の冬に完成しました。
最近のカンピラ荘全景(2002(平成14)年9月撮影)。

2003(平成15)年、無人売店を川満スーパの真向かいに移転。
2003(平成15)年、以前の無人売店のスペースと三拝云の事務所を統合する。
2003(平成15)年12月、外装をリニューアル。こぎれいになってしまった。(神奈川県在住の富永一郎さん撮影、提供)

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