貝の採集

打ち上げ貝採集
 最もオーソドックスな貝の採集方法で、要するに海岸に打ち上げられている貝殻を拾い集めるという方法です。誰でもいちどはやったことがあるでしょう。特にコツとか気をつけることはありませんが、とにかく注意深く海岸をくまなく見て歩くことです。
 打ち上げ貝の場合はどうしても殻が摩耗したものが多いですが、ときどき死んで間もない新しい殻があったり、台風の直後などには生貝いきがいが打ち上げられていることすらあります。
 また、沖縄の海岸にはオカヤドカリが多く、けっこう上等の貝殻がオカヤドカリの住処となっていることが少なくありません。ヤドカリが素直に住処をあけ渡してくれればいいのですが、ほとんどの場合頑強に殻から出てくれませんから、どうしても殻が欲しい場合はヤドカリごと持ち帰るしかありません。
 特に、台風や海が荒れた日の直後は打ち上げ貝採集の好機で、数も多く、また新しい貝もよくあります。南風が強く吹いたあとなら島の南海岸の南風見田の浜、北風の場合は星砂の浜の少し手前の北崎にしざき海岸などが良い採集ポイントになります。私は、2001年10月に台風21号が通過した直後に北崎海岸でホシダカラの生貝が打ち上げられているのを拾ったことがありますが、運がよければそのような“お宝”もゲットできることがあります。
南風見田の浜 ガラスのビン玉
南風見田の浜 打ち上げられたガラスのビン玉
 海岸で貝を探しているといろいろな漂着物を目にしますが、漁をするときに用いる浮き球(ビン玉)などもよく転がっています。最近はほとんどプラスチック製になっていますが、ときどきガラス製のものがあり、特に大きいガラスのビン玉は骨董品的な価値があってマニアの間では高価で取り引きされているそうです。
 カンピラ荘の隣にあるしょうとく庵では店の前のテーブルにこのガラスのビン玉を何個か飾ってありますが、かつて盗難に遭ったこともあるそうです。そのような姑息なことをやるよりも、自分で海岸を探し歩いて見つける方がはるかに価値があるというものでしょう。

干潟、磯採集
 これらも簡易な採集方法ですが、打ち上げ貝採集とは違って生きた貝を得ることができます。良い標本を得るためには、摩耗した打ち上げ貝よりやはり生貝いきがいでなくてはなりません。
 西表島には河口域などに干潟がよく発達し、干潮時には広い砂泥地が露出します。そのような場所をよく観察すれば、砂の上を這っている巻貝や砂に潜りかけている二枚貝をよく見かけます。スコップなどで砂を掘ってみれば、砂中に潜っている二枚貝やタマガイ類などが採れます。さらに少し上流のマングローブ帯の中まで入れば、泥の上にキバウミニナやシレナシジミが無造作に転がっていたり、またマングローブの木の根に付着している貝もあります。
 磯採集は、海岸沿いの転石帯や岩礁帯の岩場を見て回って岩の表面や割れ目などにいる貝を採ることです。当然干潮時の方がやり易く、いろいろな種類の岩場の貝を採ることができます。カサガイ類など、岩の表面にしっかり張り付いているものもあるので、剥がすために金属製のヘラなどを用意するといいでしょう。ちなみに私は、磯採集にはいつもダイビング用のシーナイフを持っていっていますが、なかなかに重宝です。
船浦湾の広大な干潟 西表島南海岸の岩礁帯
船浦湾の広大な干潟 西表島南海岸の岩礁帯
 大潮の干潮時には珊瑚礁のリーフまで干出することがあります。そのようなときは磯採集の絶好の機会で、リーフの上を丹念に探せばタカラガイ類、イガレイシ類、ニシキウズ類などいろいろな美しい貝類が得られます。また、食用になるタコやタイドプールにとり残された小魚まで採ることができるので、沖縄では浜降り(はまうり)とか海遊び(うみあしび)といって、このようなときにみんなで海に出て魚介類を採ることが昔から娯楽のひとつになっていました。
 砂浜でも、潮干狩りの要領で砂を掘ってみれば、イソハマグリやリュウキュウナミノコなどの小型二枚貝類が場所によってはたくさん採れます。目の粗いザルやふるいで砂をすくってふるえば効率的です。

潜水採集
 効率的に生貝いきがいが採れる方法です。スキューバダイビングの場合は費用の面あるいは資源保護の立場から何かと制約があるので、ここでは素潜り(シュノーケリング)による採集について説明します。シュノーケリングは、少々水泳ができれば誰にでも可能で、西表に行けば美しい海で多くの人がやったことがあるでしょう。
 沖縄の島々には沿岸に珊瑚礁のリーフがよく発達しますが、沖の方のリーフエッジの付近には生きた造礁珊瑚がたくさん生息しています。そのような場所は非常に美しく、また魚類も多いのでシュノーケリングには最適なのですが、実は生きたサンゴの群生帯には貝類はほとんどいないのです。サンゴ自体が動物で、他種のサンゴと厳しい生存競争をしながら生きているのでそのようなところには貝は棲めないのです。ただし、サンゴの仲間の腔腸こうちょう動物(ソフトコーラル)を餌にしているウミウサギ類やポリプのないテーブルサンゴの裏面に棲んでいる微小貝などは別です。
 貝が生息しているのは、死んだサンゴの岩礁帯やリーフの内側に広がる浅い礁池(沖縄語でイノーといいます)です。死んだサンゴの岩礁帯の岩面には小型の藻類がよく繁茂し、それを餌にしている藻食性のサザエ類、ニシキウズ類、タカラガイ類などが生息します。また礁池の砂地にはソデガイ類、フデガイ類、イモガイ類、タケノコガイ類などが豊富です。
 これら貝の生息地はいずれも比較的浅い場所で、深く潜れなければ貝が採れないということはありません。特に礁池内の砂地はほとんど足が立つところばかりなので、泳ぎのできない人でもマスクとシュノーケルがあれば採集は可能です。
よく発達した珊瑚礁のリーフ 生きたサンゴの群落
よく発達した珊瑚礁のリーフ。リーフ内側の礁池(イノー)にはさまざまな貝類が生息する。
生きたサンゴの群落。このような場所には貝はほとんどいない。
死んだサンゴの岩礁帯 シュノーケリングによる貝の採集
死んだサンゴの岩礁帯。このような場所にタカラガイ類、サザエ類などが生息する。
シュノーケリングによる貝の採集
わずか数メートル潜れれば・・・ 女性でも貝は採れる
わずか数メートル潜れれば・・・ 女性でも貝は採れる
砂地に無造作に転がるクモガイ シュノーケリングによる採集物
砂地に無造作に転がるクモガイ(まるまビーチ沖)
シュノーケリングによる採集物
 泳ぎのできる人はまずリーフエッジの岩礁帯まで行ってみましょう。そして生きたサンゴのない場所の岩のくぼみなどを探すと、チョウセンサザエやサラサバテイ(タカセガイ)などがよく見つかります。岸まで戻ってくる途中に今度は礁池内の砂地を上から眺めていると、クモガイやスイジガイなどの大型のソデガイ類が無造作に転がっている(ほとんどが生貝)のをよく見かけます。また砂地ではイモガイ類やフデガイ類が半ば砂に埋もれていたり、双殻の二枚貝の真新しい殻もよくあります。ただし、イモガイ類は有毒の歯舌(ハチの針のような)を持っていて、種によっては刺されると人間でも命を落とすことさえあるので、これを採るときには絶対に口の方(殻の細まっている側)は触らないように注意します。さらに、礁池内にも小規模の岩礁帯(根)が散在していて、そのような岩の周囲とか根元の方を丹念に探せば大型のタカラガイがいたりします。
 シュノーケリングによる採集には、採った貝を入れておくために目の細かい洗濯用ネットが便利です。また、岩に張り付いている貝や、シャコガイ類のように岩に完全に穿孔している貝を採るために前述のシーナイフがあれば便利です。
 なお、漁業権の対象種に該当する貝類を採ると地元漁業者の漁業権の侵害となる場合があるので注意が必要です。といっても、漁業権対象種はチョウセンサザエ、タカセガイ、シャコガイ類などごくわずかの種に限られ、コレクションの対象となるほとんどの貝類は漁業権とは無関係なので、それほど神経質になる必要はないでしょう。

淡水貝、陸貝の場合
 貝は海ばかりではなく汽水域や淡水域、さらには陸上にまで生息しています。西表島には河川が多く、淡水域も豊富なので淡水産貝類相も豊かです。
仲間川上流の渓流域
仲間川上流の渓流域
 西表の河川はいずれも河川勾配が非常に緩やかなので中流域から下では流れが極めて弱く、そのために満潮時には相当上流域まで海水が逆流します。つまり、上流近くまで感潮域となっているわけで、そのような場所には純淡水貝は生息しません。淡水貝がいるのは感潮域より上流の渓流域になります。西田川や大見謝川などの場合は河口から川沿いに上流まで行ける山道があり、淡水貝を採集するにはそのルートを利用すればよいのですが、多くの場合はそのようなルートはありません。陸路がない川の場合はカヌーを利用して遡上し、渓流域までたどり着きます。カヌーを漕ぐのが不得手な人は船をチャーターしてもよいのですが、カヌーの場合に比べてどうしても遡上できる距離は短くなり、遡上限界点から先は川の中を歩かなければなりません。
 渓流域まで到達すればあとは川の中の転石帯や瀬を歩きながら前述の磯採集の要領で岩に付いている貝を探します。このような場所では主にアマオブネ類がよく見つかります。川の中の岩は表面が非常に滑りやすいので歩くときは慎重に。私はいつもマリンブーツを履いて歩いていますが、渓流釣り用の、裏にフェルトを張った地下足袋などがあれば最適でしょう。仲間川、前良川、仲良川などは、カヌーで遡れば川岸の景色も楽しみながら採集に行くことができます。
 陸産貝類は、西表島ではそれほど豊富ではありませんが、ジャングルの中の落ち葉が堆積しているところを探せばマイマイ類やヤマタニシなどが見つかります。また、民家の周辺の石垣の間にはウスカワマイマイがたくさんいて、雨上がりには活発に活動しています。しかし、陸貝が生息する場所はハブの好む生息地でもあり、また陸貝を探しているときにムカデやサソリなどが出てきたりするので、よほど慣れた人でないと採集は難しいでしょう。ということで、陸貝の採集に関してはここでは詳しい説明は割愛することにします。


標本の作成

死殻(貝殻だけ)の場合
 打ち上げ貝採集で拾ってきた貝殻やその他の採集法で得られた死殻の場合は、身抜きの必要がありませんからそのままの状態で西表から自宅まで持ち帰ります。その際に、壊れやすい薄質の貝はティッシュペーパー等で何重にもくるんだり、飛行機に乗るときには貝は必ず機内持ち込み手荷物にするようにします。
 持ち帰った貝は、付着物や殻皮がある場合にはあとに述べる漂白から作業を行ないます。漂白の作業は簡単ですから西表での滞在中に時間があれば現地で済ませておいてもいいでしょう。しかし摩耗した打ち上げ貝などは漂白してもほとんど効果はありませんので、水洗後乾燥させてあとに述べるポリメイトを塗れば多少つやは出てきます。

煮沸による生貝いきがいの身抜き

 採集した生貝は、軟体部を保存するためにアルコール液浸標本などにする場合を除き、殻から軟体部(身)を取り除かなければなりません。ものの本には、生貝の身抜きのためには“貝を煮る”と必ず書いてありますが、実はこの方法は少々問題があります。
 二枚貝の場合はほとんどの種でこの煮沸法で完全に軟体部は取れますが、殻が薄質の貝だと少し煮すぎると殻にひびが入ったり割れたりすることがありますから加熱する時間を加減する必要があります。また、ときどきいくら煮ても殻を開かない私のような頑固な貝があったりします。
 シャコガイ類の場合は鍋に入りきらないほど大きいものが多く、また身は生食に向いているので煮ずにそのまま身を取り出しましょう。殻の背面にかなり大きな足糸孔が開いているのでそこから包丁を入れて閉殻筋(貝柱)を切断すれば殻は開きます。ただし、シャゴウ(スナジャコ)の場合はこの足糸孔がありませんから、靱帯をナイフで徐々に切断していきます。身を取り除いた殻には普通夥しい付着物(藻類や微小な生物)が付いていて、そのまま放置すれば腐って悪臭を放ちますから(と言っても貝を腐らせたときのような強烈なものではありませんが)、すぐに漂白するか、取り除けるものはその場で除去しておいた方がよいでしょう。
 一方、巻貝の場合の身抜きは二枚貝のように簡単にはいきません。サザエやマガキガイのように比較的巻き数の少ないものは、煮てから軟体部を引っ張り出して殻の巻き方向に沿って回転させながら慎重に引き出せばほとんどの個体で完全に取り出すことができます。巻貝の軟体部は殻軸筋という筋肉で殻の内側に固着しているので、この部分が殻からはずれれば身を引き出すのは楽ですが、それでも内臓の一部がちぎれて殻内に残ってしまうことがあります。そのような場合は、残った内臓の量にもよりますが、腐らせて出すかあるいはそのまま乾燥させてしまいます。
 なお、身を取りだした際に、ふたのある貝では蓋は捨てずに必ず殻といっしょに保存しておきましょう。蓋はその個体が生貝だったという証拠になり、コレクターの間では蓋のない貝は標本の価値が半減するほどです。
 ところで、タケノコガイ類やオニノツノガイ類のように巻き数の多いもの、あるいはタカラガイ類やイモガイ類のように殻口の狭いものはこの煮沸法によって軟体部を完全に取り出すことはほとんど不可能です。そのような貝については後述するように腐らせて軟体部を除去する以外に方法はありません。また、巻貝の場合も二枚貝と同じように煮すぎると殻を傷めることもありますから、いずれにしてもこの煮沸法は良い標本を作るためには一般的には適当な方法と言えないでしょう。
茹であがったスイショウガイ 漂白剤に一昼夜漬けて殻皮を取り除いた状態
茹であがったスイショウガイ(身はかなり美味)
漂白剤に一昼夜漬けて殻皮を取り除いた状態。つや出し剤を塗らなくてもこの光沢。
 ただし、軟体部が食用となる貝についてはこの方法で殻も身も両方有効に利用することができます。例えばマガキガイ、スイショウガイ、サザエ類などは身が美味なので、茹でて身をカンピラ荘の夜の宴会のつまみにしたあと殻は持ち帰ってちゃんと標本になっています。
 また、クモガイやスイジガイも身はおいしいのですが、煮ると身が殻の中に完全に引っ込んでしまうのでどうしても殻と軟体部を分けることができません。これらの貝を食用にする場合は、あらかじめ殻を割って軟体部を出してから料理をします。タカラガイ類も軟体部は食べておいしいらしいですが、殻を取るか身を取るかの究極の選択になります。

その他の身抜き方法
 生貝の身抜き方法として、前述の煮沸法以外の方法としては腐らせる方法があり、この方法なら殻を傷めることがありません。ただ、腐ることによって悪臭を伴うので、それに耐えられない方にはおすすめできませんが、回を重ねるうちにある程度は臭いにも慣れてくるものです。
 ところで、生貝を腐らせるためにそのまま土中に埋めておくという方法がしばしば用いられ、巷ではこの方法が推奨される傾向がありますが、実はこの方法はよくありません。土にしみ込んだ雨水はしばしば酸性となり、貝殻の主成分である炭酸カルシウムに作用して殻を傷めるからです。特に光沢が命のタカラガイ類など、土の中に何ヶ月も埋めておいて掘り出してみると、もとの光沢は見る影もなくなっています。沖縄の民宿などではそのように処理した貝殻が飾られているのをよく見かけますが、それが正当なやり方だと思われているために貝本来の美しさが大きく損なわれているのは全く残念なことです。
 それでは貝殻を傷めないためにはどうすればよいかというと、要するに雨水に触れさせなければいいわけで、例えばビニール袋などに入れてそのまま放置しておけばよいのです。屋外に放置する場合には雨水が浸透しないよう何重にもビニール袋を重ねておきます。貝を腐らせるには次に述べる密閉式のポリタンクが便利で、悪臭もほとんど漏れないし雨水が浸透することもありません。なお、ビニール袋等に入れて土中に埋めておくぶんには問題はないでしょう。
 またビニール袋等に入れる際に、少々手間にはなりますが貝を一個一個ティッシュペーパーなどで包んで他の個体と互いに触れさせないようにしておいた方がいいでしょう。というのは、貝殻は軟体部の外套膜からその成分が分泌されて形成されますが、たくさんの貝をいっしょにしておくとその成分が他の個体(あるいは自分自身)の殻に付着してとれなくなることがあるのです。特にタカラガイ類などは殻の表面にこの分泌液が付着しやすいので、なるべく個体ごとにくるんでおいたほうがいいでしょう。また、種類によっては濃い色の色素を出すものもあったりするので、やはりこの作業をやっておいた方が無難でしょう。
 このようにして採集物を2〜3ヶ月放置しておきます。その後袋から取り出して水洗します。とにかく悪臭が伴うので水洗はできるだけ屋外の洗い場で行ない、手にはゴム手袋をはめましょう。二枚貝の場合はこの時点で殻を開いているので、中身を洗い流すだけです。巻貝の場合は、身抜きをする前に前述のように蓋のある貝では必ず蓋を別にしておき、個体ごとに区別して大切に保存しておきます。身抜きには、ホースの口をしぼって高圧水流を作り、殻の口から何度も噴射して中身を出します。また、殻に水を入れた状態で殻ごと振ってみたりもしましょう。
 巻き数の少ない貝だとこの方法で概ね身抜きはできるのですが、巻き数の多い貝の場合はどうしても殻頂の方に身の一部が残ってしまうことがあります。そのような場合はどうしようもないので、次章に述べるような処理を施してそのまま乾燥させます。臭いが気になるときには、脱脂綿等を詰め込んでおけば多少は効果があります。数年もすると、残っていた軟体部の残骸は真っ黒に炭化して自然に出てくることが多いものです。
 身が完全に抜けた場合でもしばらくは貝殻から悪臭がとれません。そのような場合でも次章に述べる漂白剤に漬ければ臭いはきれいにとれるのですが、薄質の貝や殻皮かくひを保存したい場合などには漂白剤を使えないことがあります。そのような場合には殻を水に漬けておけばある程度臭いはとれますが、この場合も前述のように水道水(真水)は酸性になるので不可で、必ずアルカリ性の海水(または塩水など)を用いるようにします。ただ、長時間だとやはり殻が傷む可能性があるので、長くても2〜3日間程度にしておきましょう。
 その他の方法として、濃い水酸化ナトリウム(苛性ソーダ)等の強アルカリ性の溶液で軟体部を溶かす方法があります。アルカリ溶液は薄質の貝や真珠光沢のある貝を除いて貝殻を傷めません。しかし、大型の貝だと軟体部が溶けるのに時間がかかったり、またアルカリで貝の軟体部が溶かされた臭いも結構強烈で、腐った臭いとはまた違いますが身抜き作業に不快感を伴います。
 さらに、小型の貝では80〜95%程度のエタノールで貝殻ごと軟体部を固定し、乾燥させてしまうという方法もあります。この方法では標本からは干物のにおいが漂いますが、腐った悪臭よりはずっとましでしょう。

生貝いきがいのパッキングから標本作製まで
 ここでは、フィールドで貝を採集してから持ち帰るためのパッキング方法から、身抜きと標本作製までの一連の手順について説明します。
 採集してきた貝をトイレットペーパーで巻きます。これは、輸送のときのクッションの役割と、前述の外套膜からの分泌物の付着を防ぐためです。もちろん発泡スチロールやウレタンなどの梱包材があればもっといいのですが、事前に用意していかなければ旅先での調達は難しいので、このトイレットペーパーが重宝です。
 このようになるべく厚くくるみます。トイレットペーパーは、貝を水洗するときにも簡単に溶けるようにとれてくれるので便利です。
 トイレットペーパーで一個一個くるんだ貝をまとめてビニール袋に入れてパックします。動かないようになるべく隙間なく詰め込みましょう。ただし、殻が薄質の貝の場合は無理に詰め込むのは禁物です。
 輸送の間にも腐った中身の悪臭がしみ出してくるので、ビニール袋を何重にも重ね、ひとつの貝パックに10枚くらいのビニール袋を使います。3〜4枚に一度、このように粘着テープを巻いて中身の貝を固定します。
 自宅まで持ち帰った貝パックはこのような密閉式のポリタンクに入れて保管し、貝を自然に腐らせます。密閉式のポリタンクはホームセンターなどで購入できます。
 2〜3ヶ月後、貝パックの袋を開封して身抜きをします。悪臭を伴うのでなるべく屋外の洗い場で行ない、巻貝の場合は高圧水流で中身を出します。
 身抜きをした貝は次亜塩素酸ナトリウム溶液に漬けて漂白します。これはpH12程度のアルカリ性の薬品で、有機物を溶かす働きがあり、貝殻の表面の付着物や殻皮を溶かしてくれます。どこの薬品会社でも扱っていて、20Kg入りで2000円くらいです。
 これが手に入らない場合は、成分の同じハイター、ブライト、ブリーチなどの市販の塩素系漂白剤を用います。ただし、同じ銘柄の漂白剤でも酸素系のものは主成分が過酸化水素なので不可です。購入するときは塩素系であることを必ず確認しましょう。
 次亜塩素酸ナトリウムは食品添加物に指定されているくらいですから特に有害なものではありませんが、濃い液は石鹸と同じように皮膚を溶かすので直に触るとぬるぬるします。肌荒れの原因となりますから扱うときは必ずゴム手袋をつけましょう。また漂白力は強力で、色柄ものの衣服につくとその部分だけ見事に真っ白になりますから取り扱いには十分に注意して下さい。ちなみに私の場合は雨具を着て作業をしています。
 なお、土産物用の貝の標本を作る業者の間などでは、付着物を除去するために薄い塩酸が用いられます。これは確かに強力ではありますが、貝殻の表面まで溶かして光沢が失われるので、用いるべきではありません。 
 次亜塩素酸ナトリウムの原液を水道水で2〜3倍に希釈したものに身抜きをした貝を漬け込みます。
 この液はアルカリ性なので殻自体にはほとんど影響しませんが、濃い液は真珠層を劣化させることがあるので真珠光沢のある貝(アコヤガイ類など)を処理する場合は濃度を加減する必要があります。
 また殻皮を残す必要がある場合などにはごく短時間(2〜3分程度)の処理で殻皮の表面の汚れを落とす程度にしておきます。
 容器は何でもかまいませんが、このような底の平らな大型のものが扱いやすいです。
実例1 サラサバテイ(タカセガイ)の場合
 海からとってきたばかりのサラサバテイ。まだ生きています。殻の表面は石灰質の付着物や厚い殻皮かくひで覆われていて貝の地肌は全く見えません。
 数ヶ月後、身を腐らせて身抜きをしたばかりの状態。このときに貝の蓋は捨てずに保存しておきます。本種を含むニシキウズ科貝類の場合、蓋は革質で多旋型(渦巻き型)をしています。
サラサバテイの蓋→
 身抜きをした殻を漂白剤(次亜塩素酸ナトリウム原液を2〜3倍に薄めたもの)に一昼夜程度漬けます。
 貝殻の表面に沈着している石灰質などの付着物を取り除くために彫刻刀やワイヤーブラシを用います。千枚通しやナイフなどでもいいですが、彫刻刀の「切り出し」や「平刀」が使い易いです。ワイヤーブラシは毛先の固いものを用います。貝殻の表面は予想以上に固く、ワイヤーブラシで磨いても傷が付くことはまずありません。ただし、薄質の貝や殻が劣化してもろくなっているものにはワイヤーブラシの使用は避けます。
 漂白剤に1昼夜漬けて、外側の石灰質をワイヤーブラシで落とした状態。殻頂の方は液に浸かっていなかったので漂白されていません。
 殻上部に沈着していた厚い石灰質を彫刻刀で取り除いた状態。ようやく貝の地肌が見えてきましたが、殻底の方にはまだ厚い殻皮があります。殻の上部は石灰質を被っていたために漂白されていません。
 さらに2〜3日漂白剤に漬けると殻皮は完全にとれます。乾くとこのように薄く残った石灰質が白く粉を吹いたようになります。
 残った石灰質をワイヤーブラシで除去し、殻を磨き上げた状態。ここまでくれば殻にかなり光沢が出てきますが、磨き上げるのに少々根気がいります。
 つや出し剤のポリメイト。ホームセンターやカー用品店で売っています。市販のつや出し剤をいくつか試してみましたが、貝のつや出しにはこの製品が最適です。つや出しとはいってもニスのように人工的なつやを作り出すのではなく、常に湿っている状態に保ってくれ、自然なつやが出ます。
 使用法は、ポリメイトの液を脱脂綿にしみ込ませて貝殻の表面に伸ばしながら塗っていきます。乾きにくいので、塗りすぎた場合には乾いた布等で拭き取ります。
 なお、元々光沢のあるタカラガイ類やマクラガイ類などには塗る意味はありません。
 磨き上げたサラサバテイの殻全体にポリメイトを塗った状態。
 ほぼ半永久的にこの状態が保てます。
 厚い殻皮に覆われていた殻底もこの通り。
実例2 イモガイ類の場合
アンボンクロザメ
サラサミナシモドキ
身抜きをしたばかりの状態 漂白剤に一昼夜漬けた状態 殻皮を完全に除去してポリメイトを塗った状態
ミカドミナシ
採ってきたときはこんな状態ですが・・・ 処理をして殻の地肌が出ればこんなに美しい

標本の整理と保存
 以上のような行程を経てできあがった標本は、ラベルに種名、採集場所、採集年月日などのデータをできるだけ詳しく記入して、ラベルといっしょに標本ケースまたはチャック付きポリ袋に収納して保管します。ラベルは、ちゃんとしたものでなくてもケント紙や画用紙を小さく切ったものでもかまいません。貝を標本ケースに入れる場合は、安定をよくするために脱脂綿を厚めに敷いておきます。

チャック付きポリ袋 標本ケース
 チャック付きポリ袋。商品名はセイニチのユニパックといい、ほかにも類似の商品があります。ます。厚みが0.04mmと0.08mmのシリーズがあり、普通前者を使います。いろいろなサイズのものが揃っています。ホームセンターや鳥羽水族館の通販で購入できます。
 プラスチックの標本ケース。こちらもいろいろなサイズがあります。鳥羽水族館の通販で購入できます。
チャック付きポリ袋にラベルといっしょに貝を収納します。
 保存の際に、巻貝で蓋のあるものは必ず蓋もいっしょに保存します。前述のように蓋は重要なものなので、蓋が紛失しないために、またロットの個体数が多い場合などは、殻口に脱脂綿を詰めて個体ごとに蓋を張り付けておきます。その際の接着剤として木工用ボンドを用います。木工用ボンドは乾くまでに時間はかかりますが、乾いてから水に漬けると溶けるので、研究などのために蓋を剥がす必要が生じたときにも対応できます。木工用ボンドを溶かす場合には真水ではなく海水か前述の漂白液に漬けます。前述のように真水は貝殻を傷めるからです。木工用ボンドの代わりにデンプン糊を用いてもかまいませんが、合成ゴム系や樹脂系の接着剤は剥がすことができなくなるのでお勧めできません。
 また、二枚貝の場合は両殻がばらけないように靱帯じんたい(ちょうつがい)の部分を軽く木工用ボンドで接着しておきます。ふたつの殻を輪ゴムで固定しておくという方法もありますが、ゴムは時間とともに劣化し、数年間くらいしかもちません。

 これで貝の標本作製は完了です。収納ケースなどに分類群(科など)ごとあるいは産地(島など)ごとに分類して保管しておけばわかりやすいです。特に下の写真のように標本ケースに入れて並べると見映えもよく、これを眺めながら楽しむのが貝類収集の醍醐味です。